自己紹介

気功療法師 橘 奎志(たちばな けいし)


 私が気功療法と出会い、気功療法師となったいきさつをお話しします。


 私は若い頃、建設作業員として働いていました。20歳だったある日、3階部分の外壁作業をしていた時に突然足場が崩れ、そのまま落下。心肺停止状態で運ばれた病院で、そのまま死亡と診断されました。


 家族が葬儀の手続きを済ませて病室に戻ると、目を開けた私が「医者を呼んでくれ」と頼みました。家族も医師も驚き固まりましたが、そこから緊急手術となり、一命を取り留める事ができました。この事故で腰椎3番を粉々に砕いてしまった為、その部分には今でも骨の代わりに鉄板が埋まっています。


 この事故から、後遺症との戦いが始まりました。最初の2年は寝たきりで、顔を横に向ける事もできず、ひたすら天井を眺める日々でした。それから徐々に顔を動かす練習、ベッドの上で上半身を起こす練習、足を動かす練習と、少しずつ可動域を増やしていきました。医師からは「もし退院できても今後は車いすでの生活になる」と言われていましたが、奇跡的に歩いて退院する事ができました。


 退院後に原因不明の激しい頭痛、吐き気、倦怠感に悩まされ続けました(今は後遺症だったと理解しています)。吐き気を伴う激しい頭痛は毎日で、自分のまばたきの音で吐いた事も何度もあります。入退院の繰り返しの日々が続き、ひと月入院してようやく退院した日の夕方にまた入院する事も少なくありませんでした。


 身体に良いと聞いた事は何でも試しました。しかしどれも効果は一時的で、なぜこんなに辛い思いをして生きねばならないのか、と出口のない絶望の暗闇でもがいていました。


 そんな日々が20年続いたある日のことです。電車に乗っていると、ふと雑誌の中吊り広告に目が止まりました。そこに書かれた「気功」の文字がピカーッと金色に輝いて迫ってくるように見えたのです。「これは何かあるに違いない」と感じ、すぐに気功教室を探して通い始めました。


 通い始めてから毎日7時間、教室で習った気功を家で黙々と練習しました。気功を始めてから1年後、ふと最近入院していないことに気づきました。頭痛も軽くなっています。唖然としました。20年さんざん苦しんだ状態がたった1年で驚異的に改善されたのです。これはスゴい事が起きている!よし、自分が助けて貰った気功で、同じように苦しんでる人を助けよう!と、気功療法師になる事を決意しました。


 決意した頃、教室の先生は中国へ帰国してしまい途方に暮れましたが、幸いにも元極学という素晴らしい気功と巡り会いました。そして、この元極学気功を本格的に学ぶために中国へ行き、修行する事ができました。


 それから30年、素晴らしい方々との出会いがあり、その方々から沢山の事を学ぶことができました。気功療法の施術院での施術はもちろん、寝たきりで外出ができない方の元へ往診に行く事も度々あります。ご家族からのご依頼で、病院のICUへかけつけ、危篤の患者さんに気功療法をした事も何度もあります。緊迫する医療の現場で気功療法ができる機会をこれだけ沢山与えてもらえるのは、気功療法師としてとても恵まれていると本当に感謝しています。


 気功療法は、西洋医学のように科学的に解明されている部分がまだ少ないですが、決して魔法でもまじないでもありません。気の波動で免疫力や自己治癒力を高め、その高まった自己治癒力を使って自分が自分を癒やすのです。気の発し手と受け手とが強く共鳴できた時には、想像すらできないような素晴らしい現象が起こります。


 病で苦しむ方、希望の光がある限りどうか諦めないでください。私は全力でお手伝いします。ぜひご相談ください。

 なお、私の詳しいエピソードは、妻のブログ「ひとしずくの波」でも掲載しています。そちらもぜひご覧ください。